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「オペレーション・アリガトウ」の関連資料

本エントリーはこちら


おまけ:

Googleマップで見る「オペレーションARIGATO」

 Googleマップでは3月末から4月初め頃にかけて東北地方の衛星写真が更新されたため現在は被災後の写真となっているが、仙台空港の滑走路の延長上の海岸には「ARIGATO」が消えかかってはいるがしっかり写っていた。これは4月6日の撮影。








実際のGoogleマップ

大きな地図で見る




関連mixi日記

 以下は震災時からメディア報道以前までの関連したチコ氏の日記やコメント欄の書き込み。エントリー本文はありがとう作戦に直接関係のある日記を選んでいるが、震災時からの状況やありがとう作戦の動機の部分辺りに関心のある方は以下を参考にして頂きたい。

東京にいたから無事だったけど… 2011年03月12日03:46
東北で巨大地震 死者数百人か
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1531851&media_id=2

ニュースで良く知ってる場所が津波で流されるのを見るなんてことが、自分の人生で起きるなんて…。
多賀城や名取、荒浜の海は良く遊びに行く場所だったので凄くショックです。
気仙沼は、彼女さんと二人で旅行した思い出だってあるし。
名取の実家の方は、家の中無茶苦茶で停電中なものの全員無事で、親しい友人たちにも被害はなし。自分の周りに限れば幸いな結果だけど…少なくとも自分の知ってる思い出の景色は、確実になくなってしまったんだよね…。そして、そこで多くの方々が亡くなられた。荒浜に2~3百人の遺体って…。

とにかく、可能な限り早く家に帰って手伝いするからさ、待っててくれ母上。

チコ@ありがとう作戦. 『東京にいたから無事だったけど…』, mixi, 2011年03月12日03:46.

写真の中に残ってる名取 2011年03月13日19:28
これは12日のオイラの日記です。

頑張って寝ようとしたものの、結局一睡も出来ず、日が昇る前から家を出て東京駅に向かっていました。
もしかしたら名取に帰る手が何かあるかも知れないと淡い期待を抱いていたのですが、現実はそう甘くなく…東京駅で途方にくれただけでした。
肝心な時に家族の側にいなくて、交通機関は全部不通なせいで遠く離れた東京で指をくわえてるだけ。
そして自分は東北方面隊で教育を受けた元自衛官でもあります。
かつて共に訓練し、共に働いた同期たちが、自分だって被災者で家族の安否もわからない中でも、必死に任務を果たしてるってのに、退職して予備でもない自分は、自衛官として何か出来るわけでもない。

何も出来ない苛立ち。

気がついたら、火災が発生したコスモ石油千葉精油所を目指していました。
幸い家族も親友も無事だったけど…この地震は、俺の思い出の場所を全てぶち壊してくれたんだ。
せめて自分の出来る範囲で、オイラが唯一得意とする写真で、この地震の被害を見届けようと思った。
クソッタレな野次馬、他人の不幸にたかるハイエナだと言われればその通りだし、言い訳するつもりもありません。
電車は遅々として進まず、内房線も復旧まで一時間待ち、一部は徒歩で現場に向かった。朝5時に出発して、到着したのは15時半。
オイラが到着した時点ではすでに火の勢いはだいぶ収まっていた。
その様子を、対岸の公園から撮影しました。
そんな時、ファインダー越しにある光景が写った。
背後ではエライことになってるのに、それに気にもとめず、いつもと変わらず餌をついばんでいるシロサギの姿だった。
その姿を見ていたら、なんだか妙に落ち着いた。

大変なことになろうと、それでも普通に生きてる命がある。

うまく言えないけど、それが凄く心を打った。
心配で不安で苛立って、わけわかんなくなってるオイラと違って、今をひたむきに生きてるシロサギはなんて強いんだろう。なんて立派なんだろう。
出来ないことに苛立ってもしょうがない。だから、いま出来ることをやろう。

この時撮影したものをUPします。あと、少ししかないけど、手元に残っている名取の海岸をアルバムにしました。
いまとなっては写真の中にしか残ってない思い出になってしまったけど、みんながテレビや新聞で報道されている名取しか知らないのは、少し悲しいので…。

チコ@ありがとう作戦. 『写真の中に残ってる名取』, mixi, 2011年03月13日19:28.

名取に帰りたい…。 2011年03月13日20:11
犠牲者は「万人単位」宮城県警
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1533676&media_id=4


この地震で、オイラの地元、名取も壊滅しました。
幸い自分は東京にいて無事だったし、実家も名取奥地の山沿いだったので、揺れで無茶苦茶にはなりましたが、津波の被害に遭うことはなく、家族もにゃんこズもみんな無事でした。

正直言って、先日アルバムにUPした震災前の名取の海岸が、もう写真の中にしか残ってないんだってことが、いまでも心のどこかで信じられないでいます。ましてや、ここにいま2~3百名の方々の遺体が残されているなんて、信じたくないってのが本音かもしれない。
交通機関の復旧の目処がたっていないいま、どうしようもないし、帰ったところで邪魔になるだけかもしれない。 オイラを名取に行かせる手段があるなら、レスキューのプロを一人でも多く派遣したほうがいいに決まってる。

わかってる。頭ではわかってるはずなのに、やっぱり帰りたいと思います。

凄く帰りたい…。

チコ@ありがとう作戦. 『名取に帰りたい…。』, mixi, 2011年03月13日20:11.

帰ってきたチコ 2011年03月16日22:13


14日に羽田から山形、山形からバスのルートで実家に帰還しました。
昨日はイオンモールから仙台空港へほぼアクセス線沿いに移動。
人がほとんどいない中、行けるとこまで行ってみましたが空港トンネルが水没し不通だったのと、日も暗くなったため撤退しました。

約束通り、様子を見に行ってきました。

電話もメールもつながらないので、ひとまず写真をUPします。


詳しいことはまた書きます。
取り急ぎ

チコ@ありがとう作戦. 『帰ってきたチコ』, mixi, 2011年03月16日22:13.

名取市民です 2011年03月17日01:19
支援続々 114か国・地域が表明
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1537465&media_id=2

変な話だけど、震災以来、沢山の人の温かさに触れっぱなしで、感動する事が続いています。

地震発生時に東京にいて、家族と連絡がつかず、すぐに帰ろうと駅に向かったものの、動かない電車に途方に暮れていたオイラに「ご家族はきっと大丈夫よ」と飴をくれたおばあちゃんがいました。そのおばあちゃんは、あの阪神大震災の経験者でした。
山形行きの飛行機があるとの情報を得て、朝一で向かった羽田空港では、オイラと同じように、なんとしてでも帰ろうとしている2百人以上のキャンセル待ちの乗客たちがいました。
見ず知らずの他人同士だったはずなのに、お互いに励ましあい、情報を交換していました。オイラも元自衛隊化学科隊員として、「放射性物質を含んだ雨が降るらしい」というデマで不安がっていたおばちゃんたちに「それはデマだから大丈夫」だということを伝えると、とても安心してくれました。
5時の最終便にどうにか乗れたオイラに、自分だって真っ先に乗りたかったはずなのに「よかったねえ」と、みんな笑顔で送り出してくれました。「私らみたいなおばちゃんたちより、あなたみたいな立派な若者が帰った方が、みんなのためになるさ」と、にっこりほほ笑んでいました。
また「もし出来たら、仙台空港近くの家の様子を見てきてほしい」と目に涙をためていたおじいちゃんとも約束しました。必ず見に行きますと。
山形空港に着いた時、JALのキャビンアテンダントさんが
「今回の震災に被害にあわれた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。また皆さまとご家族、ご友人のご無事とご多幸をお祈り申し上げます」
と、アナウンスしてくれました。
山形空港からは、普段はない臨時バスを用意していてくれて、山形駅まで送ってくれました。
長町南駅から、途中まで道が一緒だったので、重い水や救援物資を両手いっぱいに抱えているおねいさんの荷物を持つのを手伝ったら、当たり前のことをやっただけなのに、何度も何度もありがとうと頭を下げてくれました。
家族の安否を確かめ、救援物資を渡した昨日。おじいちゃんとの約束、なによりも、自分の慣れ親しんだ思い出の場所を確認するために仙台空港へ向かいました。
しかし、広がっているあまりの状況に絶望し、思わず泣き崩れたオイラを勇気づけてくれたのが、寡黙に任務果たす第35普通科連隊の勇姿でした。遠く愛知から来てくれた部隊でした。

そして、やっとオイラの実家も電気が復活し、ネットにもつながった今日。
世界中からこれだけの支援の申し出があることを知りました。
しかも、米軍の救援作戦名は「オペレーション・トモダチ」だそうです。

このニュースだけでなく、「ヤシマ作戦」や「ウエシマ作戦」と、みんなが協力してくれていることに、心から感謝します。
少しでも意味ある支援をしようと、意見を出し合ってくれていることに感激しています。

オイラ個人としては、みなさんには当たり前の生活をして欲しいなと思います。
特別なことは何にもない、普段と同じ生活を送って欲しいんです。
それが、一番の助けになります。
お願いします。

チコ@ありがとう作戦. 『名取市民です』, mixi, 2011年03月17日01:19.

ありがとう 2011年03月26日06:48
仙台市内を中心に、徐々に営業再開する飲食店が増えてきました。
市内へ買い出しに行った帰りとかに利用してます。
まだ限定メニューだったり、少なかったりするけど、営業してくれるだけでもありがたいと感じます。

それと、別に意識して心がけてたわけじゃなく、気がついたら自然にやるようになってたことが一つあります。
それはお会計をして「ありがとうございました」と店員さんに言われた時、「こちらこそありがとうございました」と頭を下げて「おいしかったです。ごちそうさまでした」と言うようになったこと。

だって本当にありがたいもの。

例えば野菜。野菜は怪光線で一日で育ったわけじゃもちろんなく…震災が起きるずっと前から、農家の方が丹精込めて育ててくれてたわけだ。
でもって、この非常事態に産地から宮城まで輸送してくれる人がいて、それをおいしく調理してくれる人がいて、このクソ忙しく大変な時に、にこやかに「いらっしゃいませ」と言ってくれる店員さんが、オイラのテーブルまで持ってきて「ごゆっくりどうぞ」と言ってくれるわけだ。
野菜一つとってもこれだけの人に支えられてた料理に対して「ありがとう」の一つもまともに言ってこなかった今までの自分が恥ずかしい。超恥ずかしい。

これからは「グレートありがとウサギ」並みにカッコよく感謝する素敵男子を目指して頑張る。



チコ@ありがとう作戦. 『ありがとう』, mixi, 2011年03月26日06:48.

ありがとう。ごめんなさい。 2011年03月30日04:57
■アフガン政府が被災者に義援金100万ドル
(読売新聞 - 03月29日 21:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1551645&media_id=20


正直に言います。
アフガニスタンの現状や人々の困窮はずーっと報道されてたはずなのに、特にこれと言って何にもしてこなかったです。我が身のこととしてこれっぽちもマジメに考えたことなんかなかったです。

停電して、断水して、商店はどこもやってなくて、野菜一つ買うのに万博並みの大行列に並ぶ生活を続けて、ライフラインが回復したいまも、食料調達に毎日頭を悩ませて、何もかも失って避難所で生活している方々の現状を目の当たりにし続けて初めて、自分がどれだけ恵まれた生活を送っていたか、ちと傾いたものの家があり、家族が無事でいる、たったそれだけのことが、どれだけありがたいことなのかわかりました。

日本の危機を知って、自分だって苦しい中すぐに援助を申し出てくれたアフガニスタンに比べて、アフガニスタンの苦難を知りつつ、何もしてこなかった…それどころかまともに関心さえ持っていなかった自分が恥ずかしい。本当に恥ずかしい。
アフガニスタン以外にも、大変な生活を送っている人たちは世界中に沢山いる。UNHCRによれば、世界には難民が1138万人もいるそうです。
確かに、所詮は個人でしかない自称「しがないただのクソ野郎」なオイラに出来ることなんてたかが知れてる。世界の全てを知ることは出来ないし、残念ながら救うだけの力もない。惚れた女一人を幸せにするだけでも苦労してるくらいだし。
それでも、こういう気持ちを抱いたことは忘れちゃならないと思うし、忘れない。いまのオイラに出来ることはないけれど、忘れていなければ、いつか、なんかの機会に少しでもお礼が出来る日がくるかもしれないし。

気持ちだけで充分なのに、本当にありがとうございます。
そして、ごめんなさい。

…っていうかだ。
こうも世界中から温かい手を差し伸べられると、オイラが足向けて寝られる方向がどこにもなくなっちゃったじゃねえか!!
東はアメリカ、西はユーラシアの国々にヨーロッパ諸国、南はオーストラリアやニュージーランドやらだろ。北にはロシアがあるし。

どうしてくれるんだよ!!(笑)

チコ@ありがとう作戦. 『ありがとう。ごめんなさい。』, mixi, 2011年03月30日04:57.

チコ@ありがとう作戦 2011年04月03日 15:21
> あろうさん
ありがとうございます♪
むしろ拡散希望なんで、よろしければみなさんに紹介してください(笑)
米軍の活躍っぷりはイマイチちゃんと報道されてないですし、中の人がどれだけ素敵ガイか、少しでも多くの人に知ってもらいたいなとも思いますし(笑)

チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月03日 15:21 (コメント).

(4月3日の日記への追記) (4月6日夜)
更に追記
最近「この日記を転載したい」「リンクしたい」とおっしゃって下さる方から、コメントやメッセージを多数いただき、大変光栄に思っております。
この日記はウエシマ作戦中であります。つまり、どうぞどうぞ!!
特にお断りいただかなくても、転載、リンクしていただいて結構です。

さらにコミュも作りました(笑)
「ありがとう作戦」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5567438

チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月03日13:44; 6日夜追記.

チコ@ありがとう作戦 2011年04月08日 21:56
皆様、コメント本当にありがとうございます。
お礼を言いに行った筈が素敵なプレゼントを貰い、その上皆様の温かいコメントやイイネ!を頂き、更にはコミュニティにまで参加してくださり…っと、むしろ自分が「ありがとう!!」の気持ちでいっぱいになり「なんてこったい!!」状態であります(笑)

今回の震災で、世界中から様々な支援がありました。中には領土問題や政治、経済で問題を抱え、決して良好とはいえない関係の国もあります。今回自分がお礼を言いに行ったアメリカとも、基地問題や経済面での摩擦など、様々な問題があるのも事実です。
なので、今回の自分の行動に「あんな国に例を言うなんて!!」と異のある方もいらっしゃると思います。
しかし、自分はまず「ありがとう!!」だと思うのです。

諸問題はそれからじっくり議論しても遅くはないですし、むしろそういった様々な問題があるにもかかわらず、助けを差し伸べてくれた事実に対して、感謝も述べずに「そんなことより沖縄から出ていけ」「北方領土返せ」では余計に話がこじれるだけだと思うのです。
少なくとも自分には、現実に、目の前で活動している米軍の方々に対し「ありがとう」と伝えない理由にはなりませんでしたし、今後も米軍に限らず、国内外の「ありがとう」と感じたあらゆる組織、団体、個人に対し、微力であっても、ささやかでしかなくても、素直に感謝の気持ちを伝える「ありがとう作戦」を続けていくつもりでいますし、またコミュまで立ち上げちゃった次第です(笑)

「ありがとう作戦」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5567438

もしよろしければご参加ください。
また、日記、コミュとも時々ご覧いただけると、とても励みになるので嬉しいです♪

チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月08日 21:56 (コメント).

おおおおおおおおい!!!!!!!!!!!!!!! 2011年04月09日05:37
仙台空港、13日に民間機の発着再開へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1562975&media_id=88

大佐も大尉も頑張り過ぎ!!!!
合衆国海兵隊凄過ぎ!!!!
当初は「復旧まで半年はかかる…」なんていわれてたのにどういうこっちゃねんと!!

昨日の余震を思い出して、なかなか寝付けず若干ウツになってたけど、このニュースを見て俄然元気になった!! 脳内で「特攻野郎Aチーム」のテーマが流れまくってるがな(笑)



大佐!!大尉!!海兵隊の皆さん!!本当にありがとう!!!!

チコ@ありがとう作戦. 『おおおおおおおおい!!!!!!!!!!!!!!!』, mixi, 2011年04月09日05:37.

チコ@ありがとう作戦 2011年04月11日 22:51
みなさま、コメントありがとうございます♪
やっぱり、「ありがとう」は、どんな形であれ、伝えないよりは伝えた方がいい結果を生むんだな~とあらためて思いました(笑)
ここ最近感動して泣くことが続いてたので、もう涙の貯水量ないがな…とか思ってましたが、この件を知った時は余裕でボロボロでした、はい(笑)
それにしても空軍の「ARIGATOにはおよびません」って、ちょっとカッコよ過ぎですよね。おいしいとこ全部持ってきやがってこの野郎!!(笑)

チコ@ありがとう作戦. 『空の上にも届いた』, mixi, 2011年04月11日 22:51 (コメント).

 以上は全て4月16日の大手メディアの報道で話題になる以前の小規模な評判だった時点まででの書き込みである。
 報道以降は大量のコメントやパーソナルメッセージが殺到し、それ以降は本人がコミュニティに書き込んだりコメントに個別にレスをする事はなくなった。






関連海外記事:


米空軍兵が日本の被災空港を静かに再開
Kim Kyung-Hoon/Reuters
3月25日、仙台空港で津波瓦礫の除去を指示される米軍兵。
マーティン・ファクラー
2011年4月13日

 【名取市】海岸からわずか1マイルにあり被害を受けた仙台空港に米空軍特殊作戦軍のチームが到着した先月、彼等は倒壊した建物、破壊された車両や遺体が散乱した光景を目にした。


Multimedia
日本の地震の被害

日本の地震と津波


仙台空港の復興

Kazuhiro Nogi/Agence France-Presse — Getty Images
3月23日、国内便出発ロビー入り口の瓦礫を撤去する米海兵隊。

The New York Times
仙台空港は津波で冠水した。
 イラクのような戦乱国で磨かれたスキルを用いて、空軍は数時間で滑走路の一部を軍用機の使用可能の状態にした。
 その後の4週間で、彼等は巨大津波で滑走路が冠水し滑らかなガラスのターミナルを飲み込む恐れのあった仙台空港の復旧作業を行った。

 東京から東北に200マイル近くにある日本北部の大都市の一つである仙台にある空港は、水曜日に3月11日の震災以来初の旅客便を再開した。
 しかし空港が民間オペレーションを再開した時、空軍ユニットの第353特殊作戦群の20人のメンバーは祝福の場にはいなかった。復旧作業に参加した260名の海兵隊員や陸軍兵の大半もそこにはいなかった。

 彼等は既に荷造りをして去っていた。彼等の不在は、米軍の救援活動のうちでも最大級の活動を行った日本において、米軍が取ろうとしているバランスを反映したものであり、その役割がホスト国の日本側を差し置いたものとして見られないための配慮でもある。

 「私達の目標は、我々がここにいた事すら誰も分らないようにする事だ」と、第353特殊作戦群のジョン・トラックスラー少佐は先週話していた。
 その時まだ管制塔が復旧作業中だったため彼は背中に背負った無線で航空機を誘導していた。

 これは米軍が1万8000人の人員と原子力空母ロナルド・レーガンなど20隻の船舶を動員したその徹底的な救援活動を知らせる事を控えたという意味ではない。5万人の米軍を受け入れいている国における好意を促進する目標を反映して、国防総省はこれを「トモダチ作戦」と名付けた。

 しかしこれは誇りある一国家であり、第二次大戦後に(日本を)占領しその軍隊を国家安全保障と自衛に制限する不侵略的な軍としての再起の形成を支援した米国の存在に関するデリケートな問題に発展する可能性もある。
 それで米国側のトップは、仙台のように空港復旧に貢献したような場所ですら、彼等はサポートの役割である事を強調するなど配慮を見せていた。

 「私達はそこに立ち入って全てを行う第三世界の国での活動には慣れている」と、先週仙台空港駐車場に駐留していた海兵隊兵站ユニットのジェームズ・ルビーノ大佐は話した。
 「ここ日本では政府と自衛隊が主導権を持っていなければならない

 ルビーノ大佐は、ハイチやインドネシアのような発展途上国では、数千人の海兵隊員が重機や自前の技術者や医療スタッフを連れて送り込まれたが、ここ日本では米国側は空港の障害物を除去し支援物資を積みおろすための20台のトラックと作業車両を用いる260人の海兵隊員と陸軍兵の基幹要員に制限したと話した。

 「日本の自衛隊を差し置いてしまう事への懸念があった」とルビーノ大佐は話した。

 彼のユニットのテントの近くでは、日本側の建設作業員が泥を除去し照明を再配線し、手荷物受け取り場の瓦礫を取り除くのに小型ブルドーザーすらも用いて作業を行っていた。

 この状況は1995年の阪神淡路大震災の時とは全く異なっていた。日本政府は米軍の支援を断ったため、それが犠牲者数を増やす事になったと多くの日本人から批判された。今回日本政府は速やかに受け入れた。

 「彼等がこれほど迅速に来て瓦礫や車両除去を行う事が出来たのは驚くべき事だ」と自衛隊の笠松誠1佐は話した。

 笠松1佐は米軍と民間の空港運営側の調整役を行った自衛隊の小隊を率いていた。それは正式に仙台空港の担当で、また復旧作業で大きな役割を果たした。

 3月11日のマグニチュード9.0の地震から数分以内に、ターミナル内にいた1,400人の客とスタッフは、空港内の航空機を紙飛行機のようにもみくちゃにした黒く渦巻く波に囲まれていた。

 人々は救出されたが空港はほぼ全損に見えた --- 沖縄をベースにする第353特殊作戦群の指揮官のロバート・P・トス大佐が空港の被害を耳にするまでは。
 彼のユニットは荒廃した着陸場や何もない砂漠の狭いエリアを米国航空機の補給基地に変える任務に特化している。しかし通常はイラク、ソマリアやアフガニスタンのような戦乱国においてである。

 「仙台空港の再開が最優先な事は明らかだったが、誰もが匙を投げていた」とトス大佐は話した。彼は同空港を米国の支援活動のハブにする計画を上官に提言した。

 震災翌日に最初のヘリ調査を行った時に空港はまだ8フィート [2.5m] の水に水没していたと話した。

 3日後、数時間前に日本の航空基地に着陸したユニットが、ハンヴィに乗って到着した時、最初の作業は航空機の着陸に十分な滑走路の確保だった。
 その後の数週間で米国側と日本側は滑走路上に流された5,000台以上の車両を移動し、空港の端に沿って一列に並べた。

 彼等が遺体を発見した時は日本側に知らせた。彼等は日本側に配慮して何人の遺体が見つかったかは話さなかった。

 津波で管制塔が被害を受けた状態で、米国側は数週間空港を運営し、軍用機の離着陸をバックパック無線で誘導した。
 水曜日の再開に先駆けて、管制は徐々に日本側に戻された。

 3月15日以来、米国側は200万トン以上の食料、水や毛布を配布するために同空港を使用したとトス大佐は話した。

 「これが私達が行う事だ:災害を探し、そして滑走路をセットする」と空軍のトラックスラー少佐は話した。
 「しかしこのレベルの荒廃はこれまで見た事がなかった。戦闘においてすらも」

ニューヨーク版の2011年4月14日付けA6面に掲載された版

[訳=岩谷] (原文:英語)
Fackler, Martin. "U.S. Airmen Quietly Reopen Wrecked Airport in Japan", New York Times, April 13, 2011.


仙台空港の復興

これが日本の仙台にある空港の今月初めの状態だ。しかし水曜日にこの空港は3月11日の震災以来初めて旅客再開した。米空軍特殊部隊が復興支援をした。URL


海岸からわずか1マイルにあり被害を受けた仙台空港に米空軍特殊作戦軍のチームが到着した先月、彼等は倒壊した建物、破壊された車両や遺体が散乱した光景を目にした。これは仙台の被災した海岸の4月2日の光景だ。URL


沖縄をベースにする第353特殊作戦群の指揮官のロバート・P・トス大佐が空港の被害を耳にし、同空港を米国の支援活動のハブにする計画を上官に持ちかけた。URL


今月初め、仙台空港内を走る米国軍用車両のハンヴィ。最初の作業は航空機の着陸に十分な滑走路の確保だった。その翌週に米国側と日本側は滑走路上に流された5,000台以上の車両を移動し、空港の端に沿って一列に並べた。URL



津波の被害を受けた仙台空港の建物の清掃を行う作業員。URL


空港の外側で瓦礫の中の捜索。この後空港が民間オペレーション再開をした時、米空軍は既に荷造りをして去っていた。URL


彼等の不在は、米軍の救援活動のうちでも最大級の活動を行った日本において、米軍が取ろうとしているバランスが反映したものであり、その役割が日本側を差し置いたものとして見られないための配慮でもある。これは4月2日の空港の様子。URL
Credit: Ko Sasaki for The New York Times



津波後の仙台空港の復旧を海兵隊が支援

トラヴィス・トライトン
星条旗新聞

2011年3月24日

マグニチュード9.0の地震と津波で深刻な被害を受けた仙台空港の復旧支援活動を行うキャンプ富士のヒューゴ・ロマン海兵隊軍曹。米軍は滑走路から数百台の大破した車やその他の瓦礫を除去し人道支援輸送を可能とした。
 【仙台】1階建ての高さの瓦礫の山から海兵隊員が軍用レッカー車と太いチェーンを使って自動車を引き出していた頃、佐藤ツヨシさんは仙台空港の燃料供給施設に立っていた。
 2週間前に津波に教われ、車と遺体と破れた家屋や泥の沼地と化した仙台空港は日本の震災の国際シンボルとなった。佐藤さんはそれまで燃料エリアの従業員だった。

 津波によって燃料供給ポンプの周囲には航空機のガソリン供給タンク車が乗り上げた。
 損害は最悪だったが、オーナーがポンプ復旧を投げ出してしまったため重機を見つけるのは非常に困難だったと佐藤さんは話した。

 しかし、キャンプ富士から空港に配置された海兵隊が木曜日 [24日] 朝に現場の作業を始め、夕方までに佐藤さんはすっかりきれいになった現場で瓦礫除去前のポンプとの比較写真をデジタルカメラで撮影していた。
 「どんな業者もこんな事は出来ないだろう」と、車を遠くに運ぶ海兵隊トラックとフォークリフトに身振りで合図しながら佐藤さんは話した。

 日本の大災害の2週間後、仙台空港の復旧作業は東京から約200マイル北東の宮城県での米軍の復興活動の最高記録を維持している。

 それは、数万人の住民が避難所で暮らしたり被災地近辺で生存しているという広大な範囲の災害にもかかわらず、日本への支援を熱望しながら日本政府からの直接のアシストが散発的で制限されたエリアに配備された隊員達にとっての明るいスポットを提供した。
 「何台の車を引き出したか? 300?」とヒューゴー・ロマン軍曹 (28) は、CATCの海兵隊が木曜日に空港入口のもう1台の車を除去した後に他の隊員達に訊ねた。

 日曜日 [20日] 以来、キャンプ富士合同訓練センター (CATC) の海兵隊は、仙台空港旅客ターミナル内部や周辺に押し寄せていた数百台の車をレッカー移動した。

 この作業によって、仙台空港は災害現場から病院暖房用灯油、水や毛布などの救援物資受け入れの主要窓口に生まれ変わった。
 これらの物資は現地配布のために日本当局に引き渡されたり、一部は米軍によって避難所や必要なその他のエリアに届けられた。

 この仙台空港の物語はこうはなっていなかったかもしれない。地震と津波による被災規模によって日本側は仙台空港に関してさじを投げかかっていたと、在日海兵隊コミュニティ政策計画連絡オフィスのロバート・エルドリッジ副参謀長補は話した。
 「現場の様子を実際に見たなら放棄したくなっても無理はない」と、震災数日後に被害状況を調査した日本側関係者と米軍側で初めて面会した数人の一人であるエルドリッジ氏は話した。

 しかし米国特殊部隊の最初の復旧作業が日本側が作業車や人員を動員する促進となったと彼は話した。
 「彼等が多くの重作業を行い、私達が精神面のサポートをした」とエルドリッジ氏は話した。

 沖縄の嘉手納飛行場の第320特殊作戦中隊のジョゼフ・ブッカー隊長は、3月16日の近くの松島への降下からハンヴィーで同空港に駆けつけた空軍特殊部隊の最初のチームの一人だ。
 「日本側は実際この空港を放棄していた」とブッカー隊長は話した。
 「衛星画像が示していた通り、至る所に自動車が散乱していた」

 およそ3時間以内に、中隊はC-130機の着陸に充分な5000フィート [1.5km] の滑走路の障害物を取り除いたと彼は話した。
 その週の終わりまでに空軍はより大型のC-17グローブマスターを仙台空港に着陸させていた。

 キャンプ富士の海兵隊は日曜日 [20日] に到着した。
 「到着して直ちに私達は車の除去を始め、それが空港スタッフの働きに火を付けた」と、キャンプ富士統合訓練センターの指揮官で、現在空港復旧作業を率いるクレイグ・コゼニスキー大佐は話した。

 現在ターミナルエリアと長時間駐車場エリアは80%が完了しているとコゼニスキー大佐は話した。

 海兵隊や宮城県のその他の隊員は被災者のためにより多くの救援活動を行う事を熱望しているが、それでも出来る事は限られていた。

 宮城県によれば、県内で約10万7000人が食料や物資の不足がちな避難所生活を送っているという。
 特に5889人の死者を出した巨大津波に襲われた沿岸部で更に数万人が未だに現地で暮らしている。

 同県によれば、被災地域で発見された744人の身元不明の遺体が県内の19の仮設安置所に収容されているという。

 仙台空港から持ち込まれた物資は大半が日本側によって同エリアの被災者に配布されている。
 この頼みの綱である直接の支援活動の手配には多くの米軍関係者が携わっている。

 CATC海兵隊は、北は三沢基地の航空自衛隊が1週間以上救援活動を行っている岩手県に至るまでの燃料輸送団を送るなどより多くの支援を喜んで行うとコゼニスキー大佐は話した。

 4台の大型トラックが140バレルの灯油をそのエリアに届けたが、コゼニスキー大佐はこういった輸送はキャンプ富士の海兵隊にとって通常の任務だと強調した。

 しかしこれが実現するかどうかは分らない。定期輸送支援は日本政府からの要請次第であり、今までのところ支援要請は一部しか来ていない。
 「これは非常に必要とされている」とコゼニスキー大佐は話した。
 「私達が踏み込んでもっと行っていいと思う。それを行うようにアフレッシブにプッシュしている」

[訳=岩谷] (原文:英語)
Tritten, Travis J. "Marines help clear out Sendai Airport after tsunami", Stars and Stripes, March 24, 2011.
マグニチュード9.0の地震と津波で深刻な被害を受けた仙台空港の復旧支援活動を行う支援する米軍メンバー。米軍は滑走路から数百台の大破した車やその他の瓦礫を除去し人道支援輸送を可能とした。
仙台空港の障害物を除去の支援を行った米軍。
仙台空港の現在の壊滅的な外観にもかかわらず、米軍は人道支援物資受け入れ可能とするために空港の復旧に全力を注ぐ。
陸軍、空軍と海兵隊が生活必需物資を輸送する空港を復活させたと話すクレイグ・コゼニスキー海兵隊大佐。水害を受けていない空港ロビー3階に設置された司令部にて。
米軍の仙台空港復旧活動を率いるクレイグ・コゼニスキー海兵隊大佐。
仙台空港の復旧支援を続ける米軍。
車両の残骸を除去するキャンプ富士のヒューゴー・ロマン海兵隊軍曹(前) とカイル・ホワイト上等兵。
Travis J. Tritten/Stars & Stripes



米軍が仙台空港で最善を尽くす

セス・ロブソン
星条旗新聞

2011年4月4日

日本の仙台空港で約200名の海兵隊員と陸軍兵を収容している米軍臨時キャンプの高い位置からの眺め。
 【仙台】テント、車両、仮設トイレや、装備・食料・水パレットの整然とした列が仙台空港に立ち並び、それらを取り囲むこの空港や周辺地域を飲み込んだ一面の津波瓦礫との対象をなしている。

 沖縄、キャンプ富士、キャンプ座間から来た200人規模の海兵隊や、ハワイから来た数名の空軍兵は --- 米軍の地上部隊の突然の最大任務である日本北部の災害救援 --- 周辺の道路や滑走路の障害物除去を終えたが、空港周辺の大量の土地は災害で荒れ狂った砂や土に埋まった落ちた電線、破壊された車両や航空機の混乱は残ったままだ。

 軍人達は3月11日の津波の被災者への援助の輸送任務に集中している中、彼等はまた簡素な基地で最善を尽くしている。

 現場の海兵隊員のジェームズ・ミラー曹長(38、カリフォルニア州テメキュラ)は日曜日 [4月2日]、3週間前に先遣隊が到着して以降にキャンプが改善したと話した。
 最初に活動開始した海兵隊員にはテントはなく、災害で人々が避難した地域の調査任務の間、彼等は凍えるほど寒いターミナル内の簡易ベッドで睡眠を取っていた。

 「自前のテントを持ち込んですぐに、私達はターミナル正面の駐車場にキャンプの設置を始めた」と、沖縄の第3兵站群のミラー曹長は話した。

 キャンプは約20個の暖房されたテントと、海兵隊員と陸軍兵が任務で使用する重機、トラックやハンヴィー用の2つの駐車場にまで拡張された。
 基地の中心はラップトップで任務計画作業を行う海兵隊員で満員の指令作戦部テントである。

 「トモダチ作戦で展開した前進部隊の大部分がここにある」とミラー曹長は話した。
 「(宮城)県内の人道支援の指揮統制はここから組織されている」

 夜明けと共に、多くの部隊が遠方コミュニティへの支援物資輸送の任務に出発する。

 用心のために、被災ゾーンの現地の米軍関係者は全て、彼等が晒された放射線量を記録する1つか複数の「線量計」を着用している。

 海兵隊CBRND専門のジョン・スルジンスキ三等軍曹(29、ニューヨーク州ビンハムトン)によると、これまでのところ誰も、仙台の約60マイル南にあるダメージを受け放射能漏れを起こしている福島第一原発からの危険値を受けてはいないという。

 「キャンプ座間に妻と娘がいる。常に家族に電話やメールで連絡を取っているが、妻は私の事で心配はしていない」と、キャンプ座間の陸軍第35後方支援部隊ショーン・クラーク陸軍二等軍曹(34、グアム)は話した。
「私達が健康被害を受ける状況に置かれる事はないだろうと家族には説明した」

 現在進行の原発事故と放射能漏れのニュースにかかわらず、各軍は最善を尽くしている。

 アレハンドロ・アングラーダ二等軍曹(24、プエルトリコ)は、空港のキャンプには、2006〜08年の15ヶ月間彼が過ごしたイラクのバグダッドの前進作戦基地よりもアメニティ(生活環境を快適にするための娯楽等の設備)が少ないと話した。
 「イラクでは、PX(売店)や全てのアメニティがあったが、ここにはテントしかない」

 しかしそこには類似点もあるとアングラーダ二等軍曹は話した。
 「昨日任務に出て、道路の脇にある全ての瓦礫を見た。一瞬私はバグダットに戻ったのかと思った」

 路上あるいは空港でも、軍隊はMRE(軍支給の即食可のパック食品)、果物や生野菜そして沖縄の家族から送られたチョコレートバー、クッキーやソーダなどの差し入れの追加品を食料にしている。

 そして空港での設備不足にもかかわらず、空港での軍隊が一つだけ楽しみにしている事がある。
 「3日に一度、私達は仙台駐屯地にシャワーを浴びに行く」とクラーク二等軍曹は話した。

 兵士達は仙台駐屯地の訪問を好んでいた --- 並木のある草深い道の間に建つ白塗りの兵舎がある日本の自衛隊の施設 --- なぜなら彼等は日本の店で下着、靴下、手袋や懐中電灯などのアイテムの買い物が出来るからだ。又は彼等は小さな食堂で食事をする事が出来る。

 仙台駐屯地に常駐している別な40名の米国人が、日本の自衛官とともに大部屋で睡眠を取り、自衛隊との作戦をコーディネートするために指令所で長時間働いている。

 空港あるいは仙台駐屯地のいずれにおいても米軍の存在は地元住民を元気づけていると、沖縄の海兵隊第3兵站群の通訳のマック・ブレイズ伍長(22、オレゴン州ビーヴァートン)は話した。
 「他国からの支援は現地の人々にとって良い事だ。特に精神面で。それは彼等が前に進む事を手助けする。なぜなら彼等の多くが家族を失っており、世界のファミリーが彼等を元気づけるためにそこにいる事を知るからだ」

[訳=岩谷] (原文:英語)
Robson, Seth. "U.S. troops making best of situation at Sendai Airport", Stars and Stripes, April 4, 2011.
日本の仙台空港で約200名の海兵隊員と陸軍兵を収容している米軍臨時キャンプの高い位置からの眺め。
海兵隊員、陸軍兵や日本の自衛隊の部隊が仙台駐屯地の男性用寝台で睡眠を取る。
仙台駐屯地でコーヒー缶に湯を注ぐ沖縄のキャンプ・シュワブの海兵隊戦闘強襲大隊のジェシー・ブレマー三等軍曹(26)。
日本の自衛隊員とともに仙台駐屯地の男性用寝台で眠る陸軍兵。
仙台駐屯地の食堂で昼食を食べる3人の海兵隊員。日本の自衛官は食後に漫画を読んでいる。
「災害」の文字で始まる標識、この車両が災害救援活動に用いられている事を示している。仙台駐屯地の自衛隊車両の全てに同様の標識が付けられている。
仙台駐屯地で自転車に乗る日本の自衛隊員。
仙台駐屯地内の道路は自衛隊車両で一杯である。
仙台駐屯地にある自衛隊東北方面隊本部の建物。
仙台空港の臨時キャンプのテントの裏口の外側にかけられた「ここは入口ではない -- 第一小隊」の表示。この基地は沖縄やキャンプ富士、キャンプ座間の約200名の海兵隊員や陸軍兵、ハワイの数名の空軍兵の本拠地である。
仙台空港の臨時米軍キャンプにおいて陸軍と空軍から装着義務とされている2つの線量計に関して話す第35後方支援部隊のジェームズ・ハリソン三等軍曹(31)。
仙台空港の臨時米軍キャンプの指令作戦センターで同僚と話す海兵隊の飛行場発着管制群チーフのデヴィッド・エルボン二等軍曹。
仙台空港の指令作戦センターの前で電話で話す海兵隊員。この手作りの標識は「第35戦闘兵站連隊」の意味。
臨時米軍キャンプの作業テントの前でウェイトを上げるキャンプ富士通信チーフのエリック・ペイト一等軍曹。毎日トレーニングを欠かさないと彼は話した。
仙台空港で仲間の陸軍兵達とMREを食べる後方支援隊のディラン・ノートン特義兵(21)
休憩を取るキャンプ座間の第35後方支援連隊の兵士達。このキャンプは日本北部の津波救援を行う現地部隊の最大の突然の任務の臨時本拠地となっている。
臨時キャンプで発電機のコントロールパネルのウィンドウを鏡にして髪を切る沖縄の海兵隊第35戦闘兵站連隊の通信員のジェイソン・スミス大尉。
仙台空港の米軍臨時キャンプでの休憩時間に映画を見る第78通信大隊のニコラス・ジョーンズ三等軍曹(26)。
Nathan A. Bailey/Stars & Stripes

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